鈴木ともみ副所長のNewsキャスターレポート
取材!黒柳徹子さんに学んだ ダイバーシティ・コミュニケーション
投稿日時:2016年07月03日
(写真撮影:鈴木ともみ 日本記者クラブにて)
~多様な国々を訪問、世界のトットたちのために~
ユニセフ(国連児童基金)親善大使として多様な国々を訪れている黒柳徹子さんの会見を取材しました。
黒柳さんは、32年間に渡って、アフリカ、アジア、中東など32カ国を訪問し、過酷な環境にいる子供たちとのふれあい、体験談について語って下さいました。
黒柳さんのベストセラー『窓際のトットちゃん』でも明かされていますが、黒柳さんは幼い頃、自分の名前である徹子を『テツコ』と発音することができず、『トット』と発音していたため、周囲からも『トットちゃん』と呼ばれていたそうです。
今から32年前、親善大使に就任して初めて訪問したタンザニアでは、
村長らが「トット、トット」と話していたため、なぜ、自分の名前を知っているのか不思議に思っていたところ、現地のスワヒリ語で「トット」は子供を指す意味であることを知り、「自分は子供のために働く運命だったのかもしれない」と感じたことが、ユニセフ親善大使としての始まりでした。
黒柳さんがこの32年間で集めた募金は約56億円。
全額がユニセフに送られ、世界中の子供たちの支援に充てられています。
いずれも戦争、内戦、天候被害などで荒廃し、子供たちがその犠牲になっている国や地域です。
黒柳さんは昨年5月に起きた大地震により60万戸が崩壊し、
多数の犠牲者が出たネパールを訪れた際に、親を失った子供たちとも接したとのことですが、
そのうち孤児院で、失明した6歳ぐらいの子の手を取ると、
たどたどしい英語で「I am happy.」とだけ言ってくれ、
あまりの純粋さに涙が溢れ出たというエピソードも語ってくれました。
苦痛を訴えることもなく、「周りの大人を信じて死んでいく子供たちのために、この仕事をずっとやっていこう」と、
決意を新たにしたのだそうです。
『募金集めも大切、でも子供たちやユニセフのことを知ってもらう、関心を持ってもらうことがとにかく大事』
というメッセージを黒柳さんは必死に訴えていらっしゃいました。
約60分間に渡るスピーチでしたが、必要な情報は数字を交えながら適格に伝え、
一方で、ユーモアも忘れず、
例えば「屈強なテレビクルーの男性陣が現地の食べ物や水を飲食し、
次々にお腹を壊すなか、自分だけはピンピンしていた」
「助けた方からお礼にヤギをプレゼントされ、しばらくメ~メ~と泣くヤギと共に旅をした」など、
クスッとしてしまうような逸話も次々と繰り出し、
その上で、多くの人たちに訴えたいメッセージは熱く表現するという、
素晴らしいプレゼンテーション力、これぞ『徹子力』を目の当たりにしました。
涙の後にやさしく微笑んだりと、表情も豊かで、
決して建前ではない本音で語って下さっている姿がとても印象的でした。
最後の記念品贈呈の場では、「あら、何かしら? 開けてもいい?」と、
即座にサラリと開封し、「まあ、木製のボールペン、ちゃんと書けるわよ~」と
笑顔いっぱい、茶目っ気たっぷりの愛らしさで締め括りました。
実は、この愛らしさは、私が黒柳さんとお化粧室で二人きりになった時にも感じたものでした。
なんと、個室トイレのドアを開けた瞬間に、黒柳さんの玉ねぎ頭が目の前に…。
突然のことであせりつつも、『あっ、こんにちは』とお声がけしたところ、
黒柳さんは『こんにちは~ お借りします~』と私に深々と頭を下げ、
個室トイレに入っていかれました。
私は『いや…私専用のトイレではありませんが…』と、心の中でつぶやきながら、
その礼儀正しさと腰の低さに恐縮すると共に、愛着を感じてしまいました。
おそらく天性のセンスなのだと思いますが、テレビ放送の世界で60年以上もの間、
ずっと黒柳さんが第一線で活躍し続けることができた所以は、
その愛らしいキャラクターと類まれなプレゼンテーション力=『徹子力』にあるのだと思います。
そして、この『徹子力』は世界各国の子供たち、多様な人々にもストレートに伝わってきたのでしょう。
黒柳徹子さんから、これからのダイバーシティ時代に必要なコミュニケーションスキルを
学ばせていただいた気がしています。